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青森県在住。毎週日曜日17時から、FMアップルウェーブ発の番組の一員として参加。音楽・ラジオ好きによる"日々の音"やメディアの話

New Agenda

今日はちょっと社会的に真面目な話。

 

 

ここ最近、他の民族を否定する言動や行動が散見されます。いや、否定ではなく侮辱と言い換えてもよいほどの人格の否定というもの。民族の他にも、他者の出自や出身地などの侮辱も目立ちます。

ネットに顕著と思いきや、政治の中枢にいる方にもこれら発言は散見され、そういう権威のある方が平然とそれを語る姿には危うさすら覚えるほどです。いわゆる”ヘイトスピーチ”に関して、たとえば民族非難の面においては法律で禁止するのが望ましい…との声も挙がっており、個人的にこれに賛同します。

現在垣間見られるヘイトスピーチは明らかにいびつなもので、到底許されないものと考えます。一方で、さて一歩引いて考えれば、たとえば他民族へのヘイトスピーチの(目に見える暴力的な形での)登場ってこれまでみられなかったから想像すらしなかった…と思っている方は少なくないのではないでしょうか。おそらくは単一民族国家の下に生まれ育ってきたため、他の民族や他の宗教について十分考える土壌がなかったことがその背景にあるのかもしれませんが、ならば今からでも遅くないから、もっとヘイトスピーチが平然と登場してしまう前に、考えはじめるようにしないといけないよなあと考えます。

 

 

今からちょうど20年前の5月18日、ジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)が放った、ヴァージン・レコーズ移籍第一弾アルバム『janet.』。プロデューサーチーム、ジャム&ルイス(Jimmy Jam & Terry Lewis)と組んだ3作品目、通算5枚目となるこの作品は世界中で2千万枚を売り上げる金字塔を打ち立てたのみならず、このモンスターアルバムからは6曲もの全米シングルチャートトップ10ヒット(うち「That's The Way Love Goes」「Again」がNo.1を獲得)を放ち大成功を収めました。

愛やメイクラブ、別れやその後に募る想い…といった様々な愛を謳うこの歌集の中にあって、歌集の折り返し直前に配置されたこの曲は、それらとは異なる輝きを放っていました。

 

Janet

Janet Jackson feat. Chuck D「New Agenda」(from『janet.』(1993))

  →iTunes Storeにて全曲試聴可能

 

2番の冒頭で、黒人 / 女性であることで(それらの理由”のみ”で)拒絶されたと語るジャネット。だからこそ彼女は、誇りを高く掲げます。

けれど「ノー」と言われるたびに

あたしは強くなった

だからこそ

誇り高きアフリカ系アメリカ人の女として

胸を張って生きることができる

(『janet.』国内盤対訳より引用)

その上で、『新たな課題(= New Agenda)に目を向けるのは今』とサビの最後で強く謳い上げます。

 

この曲の登場から20年が経過しましたが、今でも歌詞で描かれたような差別は存在すると伺います。しかしこの曲が出た当時はもっと酷かったであろうことは想像に難くありません。この歌が、ヘイトスピーチに傷ついたとしても前に進むのをやめない…と心に言い聞かせる”誓い”の歌であり、それが広く浸透した結果、一人ひとりが強く逞しくなり今の状況を作り上げた…たとえば現在オバマ氏が大統領となるなど、少しずつ社会的に改善しているように伺えます。

 

様々な愛の形を、エンタテインメント性の極めて高い音に乗せて紡ぎ上げたこの作品において、「New Agenda」の歌詞はともすれば異質かもしれません。しかし、その音の中にきちんとメッセージ性を宿した曲を織り交ぜることで聴き手は、様々な愛の歌もこの曲も別け隔てなく汲み取り、自分の糧にすることが出来たんじゃないかと思います。この曲が謳う”誓い”-自身への自負を宿し自分への愛を強くする讃歌-を、聴き手は自身の人生の歌と捉え、自信を育み、その誓いを凛とした行動にうつしていく。行動にはたとえばヘイトスピーチ規制の法制化等(事例はコチラのまとめ等参照)に反映され、自信を様々な形に現してきたのではないか、と実感します。 

 

この曲はそのメッセージ性もあれ、まずなにより音が格好良く20年経ってもその輝きは色褪せないため、日本でも広く浸透してほしいなと思うのです。無論、アルバム『janet.』がもっと評価されていいのではとも。リマスター等での再発も望むところです。

 

 

さて。

ではこの曲を現状の日本に浸透させるならば、ヘイトスピーチを言われる側に聴いて(心を強くして)もらうことが最も自然では、とは思ったのですが、しかしこの曲は実は、ヘイトスピーチを好んでしてしまう方にこそ聴いて欲しいと考えています。それは以下の歌詞(訳詞)ゆえ。

KKKは手強いわ

でも一歩踏み出して話し合うのよ

何をなすべきなのか

紛れもなく、それはあたし達自身の問題

(『janet.』国内盤対訳より引用)

※KKKについてはWikipediaを参照してください

 

「New Agenda」において、不当に虐げられる側が決して”目には目を”的な、たとえば暴力で解決させようとはしません。あくまで話し合うことを訴えるのです。その話し合いの姿勢が後に法制化等の形となって結実したものと言えるのではないでしょうか。意志を強く持った人のその内なる自信は、正々堂々たる態度をとるに至らせているといえるでしょう。

 

そのような正々堂々たる態度をとる方の前で、ヘイトスピーチを続けることに何の得策があるのだろう…と思うのです。ヘイトスピーチの続行はむしろ、それを採る側の幼さを浮かび上がらせるだけではないでしょうか。さらにそれらを悟られまいと隠すべく声を荒げれば荒げるほどまた幼さを浮かび上がらせ…という循環を繰り返した結果、結果的に支持を得られないまま衰退するのだと思います。

 

仮にヘイトスピーチを採る側が、自身の考えこそ世の為に正しいとするならば、相手を殺めることさえOKと極論を振り回すのではなく、堂々と提示していけばよいと思うのです。蔑視する対象がおかしいというならその理由を提示するだけではなく、ではどうしてほしいか等の解決策も。そのプロセスを一切省き、ただ相手を殺めることがOKというのは極論の域を出ません。逆にヘイトスピーチに終始する側自身が中長期的にどうすべきかのビジョンを持ち合わせず超が付くほど短期的に振る舞うだけで(短絡的、と言い換えてもよいかもしれません)、それが幼さや自信のなさを浮かび上がらせるのではないかと思うのです。そういう振る舞いに終始することは、実は自身の考えが世の為に正しくないということを自身が一番よく知っているのではないか(だからこそヘイトスピーチしかできないのではないか)、と考えます。百歩譲って考えが正しいとしても、物凄く勿体無いことをしているなあという印象を抱きます。

 

それでも恐ろしいことには、最近では要人がヘイトスピーチを正義として加速、暴走させている現状があり、それが市井にも浸透してきてしまっているのかな…と。ならば、彼ら要人にこそ「New Agenda」が必要なのかもしれません。より強い影響力を持ちあわせているのですから。

 

 

ジャネットのアルバム発売、「New Agenda」の登場から今月でちょうど20年。アメリカがこの20年で黒人(のみならず、たとえばLGBTなどについても少しずつ浸透されてきた印象があり、総じて人数的に多数派ではない人々)の地位向上がなされてきたのとは対照的に、日本ではともすれば経済以外でも”失われた20年”が存在したのかもしれませんね。ただ、冒頭で述べたように元来考えて来なかった風土であるとも言えるわけで、これ以上後退しないように今からでも考えることが必要ではないでしょうか。

しかしながら、ヘイトスピーチにおける暴力的なまでに大きすぎる声は考えることの必要性を無意味だと思わせかねない効果があり、悪い意味で思考停止を招かせてしまう危険性を孕んでいるものと危惧します。それが世界からみれば国全体の成熟度を上げることを阻んでいるのではないかと思うんですよね。一人ひとりが自発的に考える習慣をつけるべく、「New Agenda」はもっと市井に浸透されてよいと思っています。