先日、青森市の新品CD購入環境の変化について書いた際、ショッピングモールからCDショップが消える理由として『運営側にとって、新品CDが魅力的なコンテンツではなくなった』と結論づけたのですが、音楽関係のイベントも行われているイベントスペースがあるショッピングモールで、そのイベントの直売所としての役割も果たすであろうCDショップは本当に消えているのかどうか、自分の住む青森県津軽地方に限定してですが調べてみました。主なショッピングモールならびに百貨店について記載しますが、漏れがあったならば指摘していただければ幸いです。
また今回、下記のブログを参考にさせていただきました。全国を網羅したブログの情報量の多さには感服します。
※ CD店有りには◯、無しには✕。かつて存在していた場合は店名記載。
リンク先は各ショッピングセンター、およびレコード店開店閉店メモ
● 青森市
✕ サンロード青森 (BE BOPサンロード店 および 音楽堂 サンロード店 閉店 ← 音楽堂については地元在住歌手やバンドのホームページにて確認)
✕ 青森駅ビル LOVINA (ラビナ) (新星堂 青森駅ビル店 閉店)
✕ Festival City AUGA (アウガ) (成田本店 Paxアウガ店 閉店 ← アオモリ探検隊より)
✕ GALATOWN (ガーラタウン) (音楽堂 西バイパス店 閉店 ← mixiコミュニティより)
✕ ラ・セラ東バイパス ショッピングセンター (成田本店 Paxやえだ店 閉店)
✕ イオンタウン青森東 (本のよしのや 青森東店 2月22日閉店 ← 以前のブログエントリーより)
✕ イトーヨーカドー青森店 (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ ドリームタウンアリー (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ イオンタウン青森浜田 (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ さくら野百貨店青森店 (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ 中三青森店 (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ イオンタウン浪岡 (以前存在したとの情報見当たらず)
● 弘前市
◯ さくら野百貨店弘前店 (バンダレコード)
✕ イトーヨーカドー弘前店 (新星堂 弘前店 閉店)
✕ アプリーズ (日弘楽器 アプリーズ店 閉店)
✕ ヒロロ (CDショップは無し)
※ 建物がジョッパルとして活用されていた時代、宮脇書店にて取扱
✕ 中三弘前店 (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ イオンタウン弘前樋の口 (以前存在したとの情報見当たらず)
● 五所川原市
✕ ELM (新星堂 五所川原エルム店 閉店)
✕ アクロスプラザ五所川原 (以前存在したとの情報見当たらず)
● つがる市
● 黒石市
✕ アクロスプラザ黒石 (以前存在したとの情報見当たらず)
● 平川市
✕ イオンタウン平賀 (以前存在したとの情報見当たらず)
✕ イオン藤崎店 (以前存在したとの情報見当たらず)
青森市は全滅でした。同市については地元の成田本店が市内に4店舗出店しているものの、唯一のショッピングモール内テナントであるサンロード店のみ新品CDを取扱せず。サンロード青森では以前、新品CD取扱店舗があったために競合を避けたのかもしれませんが、現在ならば取扱してもよいのではと思いつつそれでも行わないのは、もしかしたら成田本店ならびにサンロード青森側に【機会損失<リスク】の考えが強いのかもしれません。
しかしながらサンロード青森は『24時間テレビ』の青森放送のメイン会場をはじめとするメディアや、AAAなどの歌手のイベント会場になることの多い場所。そういう意味ではCD購入の動機をショッピングモール内で消化(昇華)出来ないことによる機会損失は大きい気がします(そのイベント時だけ成田本店の出張販売がされるなどであれば話は別ですが)。同様に若者向けの歌手やタレントを呼ぶことの多い五所川原ELMでも同様のことが言えます。個人的には、津軽地方で最も栄えているであろうショッピングモールであるELMにおいて新星堂閉店後の代替店舗を用意しなかったことが、CDショップの衰退且つ運営側のスタンスの変化をまざまざと見せつけられた瞬間でした。(ちなみに新星堂の跡地にはABCマートが移転しています)
ちなみに青森県では、県内唯一のHMVはつがる市に、そしてタワーレコードも上北郡おいらせ町にあるイオンモール下田に唯一出店(タワーレコード下田店)。HMVにせよタワーレコードにせよ、青森県の主要三市(青森市・弘前市・八戸市)には出店していないのです。出店当時は三市ともに強豪店舗(成田本店やBE BOP、弘前市はJOY POPSなど)がひしめいていたからこそ郊外に出店したのかもしれませんし、その頃からモータリゼーションの発達による三市の駅前地区の将来的疲弊を見抜いていたのかもしれませんが、今振り返ってみると、県内三市のショッピングモール等に代表される【機会損失<リスク】という保守性を感じ、そこに辟易していたゆえの出店だったのかもしれませんね。