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青森県在住。毎週日曜日17時から、FMアップルウェーブ発の番組の一員として参加。音楽・ラジオ好きによる"日々の音"やメディアの話

#私を構成する9枚 ラジオ編

一昨日のブログエントリー、#私を構成する9枚の写真を作成した直後、実はもう一枚作成していました。その際のテーマは、"ラジオで(ラジオが)好きになった曲"。ジャケットは基本的にシングル盤を用いています。 

 

https://www.instagram.com/p/BBC0eAIvkKQ/

(よくよく考えたら、CD販売サイトにある画像を拝借して引用、縦横比を変えないものの縮尺を変更という意味で加工...というのは、著作権等の問題があるのかもしれません。そこに抵触してまで載せるのはどうかとは思うのですが、自分のエントリーがきっかけとなりひとりでも多くの方が曲に触れ、その良さを実感してくれたならば嬉しいと考えています。もしも問題があれば削除しますので、コメント等でおっしゃっていただけたならば幸いです。)

 

 

では、今回は左上から右下に、→↙→の順で説明をば。

 

Tiffany「I Saw Him Standing There」(1988)

ラジカセ(ソニーのドデカホーン)を購入してもらったのが1988年の2月の誕生日で、自分の"ラジオのある生活"はそこが起点になったと思っています。で、青森県ではその前年にエフエム青森が開局、当時鈴木耕治アナウンサーが担当していた『EXCITING SATURDAY』を聴いていた記憶があります。その番組のテーマソングでCMでもよくかかっていたのがこのビートルズのカバー曲だったはずです。また土曜日は『コーセー 歌謡ベストテン』~『DIATONE ポップスベストテン』が立て続けに流れてきて、当時ランキング番組が好きだった自分はワクワクしながら聴いていたものでした。後者においては、ティファニーと同時期に活躍したデビー・ギブソン「Electric Youth」が1位になったはずで、番組名から真っ先に思い出すのがその曲です。

 

岸谷五朗「あの鐘を鳴らせ」(1992)

居住地域が県境山間部だった関係で、夜になるとノイズ混じりではあれど東京のAM局の電波が届いていました。そこで『三宅裕司ヤングパラダイス』(ニッポン放送)にハマり、番組終了後失意の中で(実際は『ヤンパラ』終了の半年後にはじまった)『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(TBSラジオ)を知り、番組を聴くようになりました。実際は早朝バイトの影響で日をまたいで起き続けるということがなかった(出来なかった)ため、オートリバースのカセットデッキに120分テープを入れ、放送開始と共に録音(と再生)を(同時に)押し、翌日にチェックするという体制を採っていたのですが。

その『レディクラ』で生まれたのが、後に岸谷さんの妻となる奥居(現:岸谷)香さんが提供した「あの鐘を鳴らせ」。バラエティ色皆無のいわば本気の楽曲でした。もしかしたら、AAAイベントや地球ゴージャス公演での岸谷さんの音楽を大事に取り扱う心遣いの原点は、自身の歌への真摯な取り組みにあったのかもしれません。

 

杉良太郎君は人のために死ねるか」(1980?)

おそらくは『レディクラ』でTBSラジオの存在を知り、その流れで小堺一機さんと関根勤さん、すなわち"コサキン"によるラジオ番組『コサキンDEワァオ!』に出会いました。そこでの"意味ねぇ"世界に爆笑し、もれなくこの番組もオートリバース録音番組となったのでした。番組内の名物コーナー、"意味ねぇCD大作戦"で使われたいわゆるコサキンソングに出会ったことが、今自分が担当する番組でのネタ曲挿入スピリットの原点になっているといっても過言ではないでしょう。中井貴一「君はトロピカル」、石田純一「ジゴロ」、舘ひろし青い山脈'88」等名曲は数あれど、直近でラジオ番組に用いたという意味でこの曲を。

 

中島みゆき「浅い眠り」(1992)

ドラマ『親愛なる者へ』(フジテレビ系)主題歌。ラジオっ子であると同時にテレビっ子にもなった自分にとって、フジテレビ系視聴不可の地域で同局発の番組の好調っぷりを聞くことはただただ悔しかったものです。中島みゆきさんについては当時名前と別れ歌唄いというイメージをおぼろげに知っていた程度で、それでも彼女の楽曲がドラマタイトルになり、本人も女医役で出演、さらにミリオンセールス...となると、一気に興味が沸いたのは自然なこと。そしてある日、彼女が『ミュージックスクエア』(NHK-FM)でDJを務めていると知り聴取。第一声の"こ~んば~んわっ"という、曲からは想像出来ない喋り口調に同一人物かを疑い、のけぞったのは未だ強烈に覚えています。しかしこれ以降しばらくは彼女の作品にハマり、青森でのコンサートにも足を運びました。

 

Carole King「Love Makes The World」(2001)

この曲を含め、2000年代はじめのJ-WAVEからは様々な良曲を知ることが出来、本当に感謝しています(詳細は"21st New Standards" For The 21st Century(2013年3月22日付)に記載)。上京後最初の仕事で社会人生活に挫折した自分ですが、その失意の中、社用車で運転中に何気なくラジオをつけJ-WAVEに出会ったことが、今に至る(ラジオに携わっている)運命の入口であることに間違いありません。いや、実際は就職活動時にラジオ関係をやりたいという気持ちがありながら、大学で学んだマーケティングが活きるであろう業界を”保険”として受けていたゆえ、心の隅に追いやったはずのラジオ熱が再燃したというのが正しいのですが(そういう回りくどさは悪い意味で自分らしいと苦笑い)。

ちなみにこの頃のJ-WAVEナビゲーターのうち、金子奈緒さん、そして秀島史香さんが所属しているDJ事務所の研修を受けたことがあります。社長からは滑舌の悪さを指摘されましたが(今改善できたかと言われれば肯定は出来ませんが、その後の地元放送局のアナウンスセミナーで覚えた『外郎売』を暗記し音読するうちに少しは改善したと自負しています)、そこでDJの楽しさを覚え、今に至っています。

 

八代亜紀「FLY ME TO THE MOON」(2001)

写真は収録アルバム『MOOD』。演歌界に長く君臨する大ベテランでありながら他ジャンルへの挑戦も厭わない姿勢が素晴らしく、そして出来上がった作品は洋楽となんら遜色ないことが、当時のInterFMのチャート番組でのランクインで証明されています(当時は邦楽がトップ30内にランクインすること自体珍しかったのです)。八代亜紀 ふたつの「FLY ME TO THE MOON」(2012年10月8日付)にて言及。

 

TLC「Waterfalls」(1995)

写真は収録アルバム『CrazySexyCool』(1994)。InterFM等を聴きつつもメインで聴いていたのがJ-WAVEだった自分は、各種無料イベント等に足繁く通ったり、当時渋谷センター街にあったHMVの2階にあったサテライトスタジオに赴き、『GROOVE LINE』の生放送を何度も観覧したものでした。

2002年4月26日金曜、東急文化会館8階にあった天文博物館五島プラネタリウムにて『e-STATION』の公開生放送に訪れた際、本番中に流れてきたニュースでTLCのメンバー、レフト・アイの訃報に接したことが今でも忘れられません。あまりにも信じがたい報道に、続報が知りたい(そして”第一報は誤報でした”と言って欲しい)思いでHMVに急いで向かったことも覚えています。ちなみに番組ナビゲーター、渡辺祐さんのブログにそうコメントしたことを、今回検索して思い出しました(え? TLCが来るんですかあ!? - 渡辺祐 blog MAKE IT FUNKY!(2008年12月13日付)のコメント欄)。

 

RHYMESTER「ONCE AGAIN」(2009)

一昨日のブログエントリーでも触れたのですが、Podcastradiko(とはいえ当時プレミアムサービスはなかったので似た名前のものでではありましたが)で『小島慶子 キラ☆キラ』(TBSラジオ)に触れ、そこでRHYMESTERを、宇多丸さんを知り、そしてこの曲に出会いました。永遠の私的アンセムです。

 

Beyonce「Love On Top」(2011)

写真は収録アルバム『4』。ゴスペルを歌っていた自分にはこの曲の転調に次ぐ転調がとにかく気持ちよく、また歌詞のポジティブさもゴスペルに通じることがあり大好きな曲でした。この曲に関してはラジオから流れてきて知ったということではなく、地元のラジオ局に何度かリクエストを依頼したという意味でこれまでの8曲とは異なりますが、後にそのラジオ局に1年近くお世話になったわけで、人生何があるか解らないものだと実感しています。惜しむらくは、その洋楽専門番組のパーソナリティの方と、ラジオ局在籍時にもっと話をしたかったなあと…公私を悪い意味で分け隔ててしまう不器用というか社会的柔軟性のない自分を憂いています。

 

 

そんなわけで、ラジオに関連した #私を構成する9枚 でした。