イマオト - 今の音楽を追うブログ -

旧ブログ名:face it。音楽チャートアナライザーとして、ビルボードジャパンや米ビルボードのソングチャートなどを紹介します。

日本に”多様性”の考えを根付かせるには

先週金曜の成宮寛貴さんの引退の件以降、いろんな考えが浮かんで仕方ありません。

ツイートに自身の考えを幾度となく刻んだのですが、その中でたどり着いた結論は【日本に”多様性”という考えは根付かないのではないか】という悔しさでした。彼の薬物面での疑惑が晴れたとしても(実際は自身が用意したキットによるものゆえ100%断言出来ないのではという思いは正直あります)、彼が言及されたくないプライバシーを嘲笑目的で踏みにじられたわけです。仮に彼がマイノリティだったとして一体何の問題があるのでしょう? そんな社会に多様性の醸成どころか萌芽すらあり得ません。

”多様性”は今年のリオデジャネイロオリンピック、そしてパラリンピックのテーマでした。しかしオリンピックの成功後は日本選手の活躍ばかりが報じられ、またその意義そのものが”多様性”の尊重といえるパラリンピックの報道時間がオリンピックに比べて如実に少なく(祝賀パレードでのパラリンピアンの報道割愛という、あまりに酷い行為もあったと聞きます)、”多様性”について報じ論じるところがほぼなかったように見受けられます。しかも開催前は開催自体危ういのではという報道が散見され、都合よく、またマイナス面を過度に吹聴しながら成功裏に終わった後はその報道を反省しない(出来ない)というのがメディアなのだということを痛感します。

 

マイノリティには様々な種類があります。障害の有無、恋愛対象(異性愛と同性愛、等)という数の大小のみならず、自分の考えに対して他者(の考え)もマイノリティだといえるかもしれません。自分の考えになんら疑いの余地がないと思うとき、そんな正しい自分に対する相手の部分を欠陥だと思うとき、人は他者を受け入れなくなり嘲笑すらしてしまう...その流れの果てにあるものが虐めだと考えています。虐めは、個人が抱く自分勝手な優劣を、集団化することでそれが社会的に正しいと思い込むことにより歯止めが効かなくなるという最悪の原理。数的な集団化に代わって大きな力がその役割を担う場合もあり、それがメディアであることも少なくありません。

 

そういう悪しきメディアの側面が、今回成宮さんを苦しめたことは想像に難くありません。”引退はおかしい”というご意見番的芸能人の声も散見されますが、芸能人ほど神経が図太くないとやっていけないのだろうなと思って悲しくなります。ご意見番の声だって、他者の立場になろうとしないものの象徴ではないでしょうか。

 

 

虐めに加担する人には是非、昨日の『めちゃめちゃイケてる!』の放送を観て欲しいと切に願います。いや、自分のやっていることが虐めと気付かない人も少なくないだろうことを踏まえれば、是非とも多くの人に観ていただきたいものです。かくいう自分自身、フジテレビ系圏外の地域在住でリアルタイムで観ることが出来てはいないゆえ、推薦しても説得力がないかもしれませんが、SNS等での評判をみれば内容の好さは伝わってくるというものです。今回の主役のひとり、キングコング西野亮廣さんのプロローグ(ブログ)を観てから本編を観ていただければ、尚の事理解は深まるでしょう。

 

番組の最後、ナレーションで語られたのは【好きにならなくとも相手のことを理解しようとする、それこそが大切なのでは】という問いかけでした。西野さんとナインティナイン岡村隆史さんが犬猿の仲になった原因である”本人に直接確かず、疑念を疑念のままにしておくこと”の払拭も必要ですし(そしてその原因に第三者が関わる場合、当事者に謝罪しないといけないと考えます。この場合、逃げるは恥だし卑怯なり、です)、それも含め、何もかも相手が悪いなどと決めつけず一瞬でも相手を嫌う自分自身を振り返れば、相手の立場を想像してみれば見えてくるものがあるはずです(今回の『めちゃイケ』ではその振り返りがお面の使用という形でしたが)。そうすれば相手に対し、共感や諸手を挙げて賛同とまでいかなくとも、まずは解ることが出来る、そして同時に自分にはない考えや立場の人なぜ罵倒するのかの理由がいかにあやふやであり、罵倒する自分自身のいやらしさにも気付くはずです。

理解出来ないことだってあるかもしれません。でも、理解しようとするという姿勢だけでも相手にとっては十分嬉しいはず。問題なのは理解しようとしないという姿勢なのです。仮に理解しようとしないのであれば、蔑視感情を表に出さないで欲しいと思います。

 

 

最後に、こういう心理実験的なものを、笑いを交えながらきちんと考えさせる作品に仕上げたフジテレビバラエティ班の実力はまだまだあると思います。

そして成宮さんには、これまで幾多もの素晴らしい作品を提供してくださったことを心より感謝申し上げます。引退は非常に悔しいですが、今後新しい場所で活躍することを心から願っています。