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旧ブログ名:face it。音楽チャートアナライザーとして、ビルボードジャパンや米ビルボードのソングチャートなどを紹介します。

フランク・オーシャン、カニエ・ウェスト…グラミー賞ボイコット組を憂う

日本時間の2月13日(月曜)に開催される、第59回グラミー賞。その授賞式に、複数部門でノミネートされているカニエ・ウェストジャスティン・ビーバーが出席しない模様だ、と伝えられています。

1月31日の記事ゆえ情勢は変わるかもしれませんが、カニエとジャスティンについては、要は昨年リリースの作品で好事家の高い評価を受けたフランク・オーシャン『blonde』が評価されていないというのが原因とのこと。

しかし『フランク自身が選考の候補作品として提出しなかった』と記事にあるように、フランクが自らグラミー賞にノミネートされないようにしたわけで、カニエ等が言う"評価されない"という以前の問題なんですよね。尤もそれを知っててカニエ等が吠えたなら、それはそれで大人気ないなと思うのですが。

 

そしてフランクの態度…個人的な意見と前置きして書くならば、彼こそ"子どもか!"と。強く叱咤したいものです。

記事内に登場する『コリン・キャパニック的な機会』については最初に引用した記事、およびオバマ大統領、国歌斉唱を拒否したコリン・キャパニックを擁護「彼の真摯さを疑っていない」 - THE HUFFINGTON POST(2016年9月6日付)などを参照してください。

 

彼が不満を漏らす、グラミー賞の最優秀アルバム賞についてはたしかに保守的な面があるというのは自分も考えているところではあります。過去の受賞(およびノミネーションのリストはWikipediaに掲載)を見るとセールスが伴わなくとも、また大物であれば受賞しやすい傾向にあるといえるでしょうし、昨年は逆にセールスが勝ったテイラー・スウィフトが受賞した一方2作連続で最優秀アルバム賞にノミネートされ現状の黒人差別について訴えるケンドリック・ラマーが受賞を逃したこともまた、フランクのグラミー賞(およびその主催者)に対する不満を高めた一因だと言えるでしょう。

 

とはいえ二点。自分が書かせていただくならば、ひとつはこの不参加が非常に勿体無いということ。好事家のみならず、たとえば米メディアのTIME誌でも『blonde』が高く評価されています。

おそらくはノミネートは間違いなかったであろう作品にもかかわらずグラミー賞にノミネートさせるのを認めなかった彼のやり方についての記憶が人々の心から薄れても、受賞およびノミネーションリストは(先述したWikipediaのように)後世に残るわけですから、その意味では2017年のグラミー賞においてフランク・オーシャンは”存在しなかった”ことになると言っても過言ではないでしょう。その点において勿体無いことを彼が敢えて行っているのです。ノミネートされただけでも注目度や浸透度は大分高まったはずなのに。

 

そしてもうひとつは、彼が持ち合わせているであろう"驕り"。ノミネーション対象から自ら外れるということはそれだけ獲れる自信があったのではないかと。仮にノミネートされ、それでも受賞を逃したらそれはそれで不満や文句をたれていたのではないか(ノミネートすらされなかったとしても同様に)…ということが比較的容易に想像出来、その点でいえば彼にとって『blonde』は半ば受賞が当たり前と思っていたのかもしれません。無論これも穿った見方ではあるのですが、そういう驕り高ぶった精神を持った者にグラミー賞(および主催者)の非難をしていただきたくはないものです。

 

受賞を逃したものの、昨年のケンドリック・ラマーのパフォーマンスがどれだけ凄かったかを踏まえれば、フランクには自身の手でケンドリックと同じように、"自分と同じような境遇の人間がどれだけ優れているか"(MTVの記事内の文章を拝借して表現しました)を真正面から見せつけて欲しかったと強く思うのです。

公式動画はありませんのでほんの一部の映像を用いた米ローリングストーン誌の記事を。"グラミー賞を奪う(人々の心をつかむ)"というタイトルはまさしくその通りですね。

 

 

批判の方法は様々ありますが、関与しないのなら何でも言えるとは思います。でもその分責任は伴わなくて済むわけで、そのやり方は無責任で卑怯だよなあと。ならば正攻法で立ち向かうほうが自らの主張を伝えられるし、その上で最終的に賞を勝ち取ったほうが遥かに格好いいと思うのですが如何でしょう。

個人的には今回の件でフランクにも、(実際に出席しないのであれば)カニエにも残念な印象を抱いてしまいました。