イマオト - 今の音楽を追うブログ -

旧ブログ名:face it。音楽チャートアナライザーとして、ビルボードジャパンや米ビルボードのソングチャートなどを紹介します。

CCCDに対するくるり岸田繁ツイートへの違和感の正体

今週月曜、Twitterでトレンド入りを果たした言葉が【CCCD】。いわゆるコピーコントロールCDのことですが、くるり岸田繁さんのツイートがきっかけとなってトレンド入りしていました。

岸田さんによるツイート群は上記に。そしてこれについてWASTE OF POPS 80s-90sさんが雑感を記載しています。自分もWASTE...さんと似た感慨を抱いた次第です。

(勝手ながら掲載させていただきました。問題があれば削除させていただきます。)

 

CCCDが導入された2002年、そして輸入盤が入らなくなるかもしれない著作権法改正問題が2004年。この2つの問題により、【レコード会社の思惑】【政治と発し手(レコード会社等)の癒着とも言えるつながり】をまざまざと見せつけられました。CD購入者を(コピーするかもしれない)”犯罪者予備軍”と決め付け、CCCDによってCDプレイヤーが壊れても補償せず、そして発し手たるレコード会社等は政治家とつながって自身の既得権益のみ守ろうとする…これら姿勢が垣間見られたのを思い出してしまいました。当時の自分は今以上に熱く、ほぼ毎日そして一日に何度もCCCD著作権法改正問題に関するエントリーをブログにアップしていたのです。まるで怒りに動かされていたかの如く。

 

CCCD著作権法改正問題を経て、今振り返るにそれらが(後者によって輸入盤が入らなくなったということはなかったものの)【CDが売れなくなるきっかけを招いた】のではないかと。レコード会社は【CD販売にこだわるあまりインターネット時代に即した体制を築くのが遅れた】と思いますし(業界内でも未だ配信に消極的な姿勢を採るところもあり、業界内での足並みが乱れているのも原因)、【消費者は裏切られたと思いCDを見限った】とも言えるのかもしれません。そして2つの問題により【政治の”裏”が見えた】ということも。最近になって心身の状態が回復したという自民党甘利明氏が、著作権法改正問題の渦中に語っていたことは今も忘れていません。自分は特に後者の問題を憂慮して改正阻止のためにわずかですが動いたことがあり、話を聞いてくれる政党、聞いてくれたとしても党全体の方針には逆らえないという自己保身ばかりを守る政党をそこで実感(痛感)出来ました。これら問題によって政治と深く関わるようになり(といっても選挙に絶対棄権しないという程度ですが)、以来10年以上が経過しています。

 

...長くなりましたが、それだけの思いをCCCD等ツイートから思い出したのです。悪い意味での思い入れがあまりにもありすぎます。

 

 

さて、CCCDについてはたしかに、その仕様を採用してリリースした歌手に対し懐疑的な見方をしなかったかといえば嘘になりますし、レコード会社の方針をそのまま踏襲してあたかも消費者を悪とでもみなす歌手には信じられないという思いを抱いたのもまた事実(ただ、歌手すべてにあたかも踏み絵の如き採用する/しないの判断を迫る一部市井のやり方にも疑問を抱いてはいましたが)。そんな中で、たしかにレコード会社と闘いながらCCCD回避にこだわった歌手の姿勢はありがたいと思っていました。

とはいえ、この岸田さんのツイートに諸手を上げて賛成...とは思えないのです。それは、まとめサイトでの冒頭に掲載されたツイートにおける”会社の犬”という表記が異常に引っ掛かるため。自分はツイートを知った直後、このようなことをメモしました。

プレスして音質が異なると分かったのでCCCD回避にこだわったことは理解出来ても、それに気付かないもしくは調べない人を一括りにして”会社の犬”と書く姿勢は許せない。こだわり持つことは素晴らしいことだし、当時のCCCDは最低な仕様だった(今も中古店等で見かけると幻滅するし、一生なくならないんだなあと)。でも、自分と同じこだわりを持たない人を暗に非難する姿勢は違う。全くもって理解出来ない。こういう非難姿勢という人格が見えると悲しくなる。音楽の良さと演者の人となりは分けて考えたほうがいいだろうけど、看過出来ない。

また、UAさん共々闘ったと書いているもののUAさんの『うたううあ』はCCCDであったわけで、あれは企画盤だから別と捉えているのだとしたらそれは違うよなあとも。

 

岸田さんの”会社の犬”発言からみえてくるのは、岸田さんが相手を卑下することで自分の正しさ、良さを示そうとする点。相手を卑下しなくとも自分は正しかったとだけ言えばよかったと思うのです。そういうやり方...自分は”逆謙譲”と呼んでいますが、その姿勢が今はあらゆるところに氾濫していて、正直辟易しています。

今日から参議院選挙の選挙戦がはじまりますが、それだって与党も野党も自身の政策を自負する以上に相手の悪いところをあぶり出して叩くことに終始するばかりに見えますし(尤もそういう魅せ方が面白いとして報じるメディアもまた問題)、そういうのに失望しているという理由で投票を放棄する市井の多さもまた、政治への失望を持ち出して投票しないことを正しいとすり替えるやり方は一種の”逆謙譲”だと思うのです。全員が全員そうではないと思うものの、今盛んに議論される18歳以上の有権者への投票誘導よりもまず、投票を放棄するおよそ半数の市井をどう意識付けさせるかのほうがよほど大事だと思うのですが。また、”逆謙譲”を用いる人は相手を卑下することが前提にあるため、相手がそのことに仮に反省していたとしてもそれを許すことはない、いつまでも相手を悪とみなし続けそれにこだわり続けるのは心的な意味で健全ではないですよね。その意味でも、あらゆる場面において多用されている”逆謙譲”はなくなってほしいと切に願っています。

 

実は今回のブログエントリーに際し、あらためて岸田さん本人のツイートを辿ってみると、”会社の犬”および”UAさんと共闘”の2つのツイートが削除されていました。削除が本人の反省に基づくものであれば胸がすく思いなのですが、削除した旨等のツイートがないので正直言って若干の引っ掛かりはあります。とはいえ、ツイートの撤回(消去)は岸田さんの反省に基づくものだと思いたいですね。そう思わないと、その発言にばかり引っ張られ事あるごとにそれを持ち出しては色眼鏡で見てしまいそうで、自分自身が心的に不健全に陥りかねないですし。